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対馬の樹


WEBサイト『対馬の樹』より
by tsushimanoki
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WEBサイト『対馬の樹』のコンテンツ「対馬のこと」をご紹介しています。皆様のご意見やご感想をお待ちしています。
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対馬にて 宮本常一氏の取材を受けた方

民俗学者の宮本常一氏の取材を受けた、糸瀬博さんを訪ねた。上対馬町唐舟志(とうじゅうし)にお住まいの88歳。小さな砂浜に面した場所にぽつんとある一軒家に暮らされている。波音以外にはほとんど何も聞こえないくらいに静かな場所である。糸瀬さんは、身なりとその身のこなし方、頭の回転の速さから、本当にこのお歳なのかと思ってしまうくらいの方だ。かくしゃくとしたご老人というのはこういう方のことを言うのだろう。

糸瀬家は対馬藩藩主の宗家一族の分家にあたり、 かつては武家として当地一体を治めていた。 宮本氏の取材は、糸瀬家に伝わる捕鯨の記録について。「寄鯨(よりくじら)※の記録」として、何艘の船が出て、そして肉をどう加工し、どこへ出荷したかなどが書かれている。塩漬けの鯨は大阪まで出荷されていたそうだ。当時、「鯨一頭で5ヶ村が潤う」と言われる程、鯨は貴重な現金収入源だった。そのために、このような記録がなされたのであろう。
※寄鯨(よりくじら)とは、死んで間もない鯨を捕獲する漁。生け捕りよりも少ない労力で捕獲することができる。

宮本氏はこの古文書をすらすらと読んだということだ。「多くの学者と出会ったことはあるが、特にずば抜けた人と思った。彼はたった一人で島内を回って黙々と取材をしていた」。糸瀬さんのすごいところが、宮本氏に取材の証を残させたところ。書かれた内容は以下の通り。

昭和二十五年八月四日 拝見
漁業関係 古文書
特ニ共有 利度資料として 尊重すべきもの
東京都中央区河島 東海区水産研究所
資料整備委員会 宮本常一

宮本氏の著書、「忘れられた日本人」には、若かりし頃の糸瀬さんの写真が掲載されている。キリリとした風貌は、まるでトップアスリートのようである。かれこれ50年以上も前、この地において、壮年期の宮本氏と糸瀬さんが出会い、そしてどんなことを語り合ったのだろうか。

□対馬の樹 http://www.tsushimanoki.net
対馬にて 宮本常一氏の取材を受けた方_f0167375_10353658.jpg


by tsushimanoki | 2008-07-29 10:32
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